立夫文庫のブログ

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☆有楽町、数寄屋橋の地名の由来は「うらくさい」にあった

題 名:茶人織田有楽斎の生涯 
            整理番号:E-17                
            ジャンル:人  伝
      読んだ時:平成19年 69才   
            著 者:坂口筑母
            出版社:文献出版(中央区立月島図書館蔵)
          昭和57年1月12日発行


 内容・感想:
有楽は天文16年(1547年)織田信秀の十一男として誕生した。
「ウラク」と読む。
名は源吾、通称長益(ながます)、号を有楽(うらく)、
如庵(じょあん)と云う。
信秀の子供と言うことは、そう、かの有名な信長は
彼の次兄なのである。


「逃げの有楽」と言われるように織田家直流の武将で
ありながら、巧妙に世を渡り、その血脈は現代に及んで
いるのだから、ある意味立派である。


添付のコピーは東京の中心地、有楽町の由来を記した
一文である。(残念ながら、添付は移動できません)
とても興味深々である。

茶道にも精通した彼は、江戸城の近くのこの地を拝領し、
その別邸の中には幾つもの数奇屋造りの茶屋が
建てられていたそうである。
現在の数寄屋橋の由来もその辺りにあったと思われる。

本当は彼の別邸は、現在の銀座四丁目辺りだったそうだが、
明治の始めに市制を敷く折り、彼の名をとって「有楽町」
としたものと思われる。