立夫文庫のブログ

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☆弟子の唯円と、かえでの恋を裁いた、親鸞の優しさ

題 名:出家とその弟子
            整理番号:A-09             
            ジャンル:仏教など
       読んだ時:平成17年 66才   
            著 者:倉田百三
            出版社:新潮文庫


 内容・感想:
僕は、時々本屋をぶらつくのが好きだ。
この一冊もそんな時、偶然に求め得たものである。


こんな本を、僕は読みたかった。
つまり、経典など、仏教関係書は、とても難しくて
読解しにくいのが多い。
しかしこの書は、戯曲化することによって、
親鸞(しんらん)の歎異抄(たんにしょう)の教えが、対話形式で
直に僕達の心の中に浸透してくる。


この本に巡り遭ったのも、仏様のお導きかもね。
それにしても倉田君は、いったいどういう環境で
育ったのだろう。
弱冠二十六歳でこのような書を著しているのには、
きっと仏教に関する環境的感化と理解が多々あった
ものと思う。


読んでると、まるで人間親鸞の体温が伝わって来るようだ。
ご存知のように、真宗は妻帯を許している。
この書は、人間が成長していく過程で、避けては通れない
恋の悩みを、浄土真宗の立場から実に明快にその心の
持ち方を説いている。


当時、大正の中期頃、若者の間でかなり読まれたようである。
真理は時代を超越して、常に有効である。
現代、将来の若者達も、この一冊を読んで、
心の善き指導書とされると宜しいと思う。


以下、感銘的な、主要点を記す。
第一幕。・・・左衛門は元お武家で、今は金貸しをする傍ら、
鉄砲でケモノを撃ったりして暮らしている。
彼の考え方は、「俺は生来、気が弱いので、貸した金の
回収もとかく滞りがちだ。
だから、もっと心を鬼にして悪人になり切って、
可愛い女房と子供の為に、ビシビシと仕事をやるように
心掛けている。」


そんな心の葛藤の辛さから逃れるために、酒をあおっては、
気を紛らしている。
そんなある夜、外は吹雪であった。
三人のお坊さんが、一夜の宿を求めて訪ねてくる。
左衛門はそんな僧たちを、剣もほろろにつっぱねる。


曰く、「私は、坊さんというものが大嫌いでね。
喜捨、供養をすれば罪が滅んで、極楽浄土にも
行かれるそうですが、生憎(あいにく)この世は善い事が
できぬような仕組みになってますでな。
左様な立派なことをおっしゃる方々を、
私のような汚れた者の家に泊まってもらっては、
畏れ多い気がしますでな。」・・・などと、
皮肉たっぷりに追い返した。


結局、左衛門は、その夜に見た悪夢から、考えを改めて、
戸口の外で震えている坊さんたちを泊めてあげることに
したのだが・・・。
現実問題、僕ら日頃の商売で、このようなケースに遭遇し、
はてなと思うことが多い。


蓋し、この世の荒波を越えて、人より上に割拠するには、
「必要悪も有り」かとも思う。
結構、この世の成功者と称する人は、左衛門のような
考えの人が多いんじゃないかな。
全部とは言わぬがね。


でも、ここで考えねばならないのは、人を押し退けながら
お金儲けをして、果たして心が幸せで居られるかと
言うことだと思う。
その辺は、親鸞が言ってることを読んでみましょう。


我らは、煩悩(ぼんのう)具(ぐ)足(そく)せる凡夫であり。
悪人なおもて、往生す、いわんや善人おや・・・である。
第三幕~第五幕、特に134頁「純な青年期を過ごさない人は、
深い老年期を持つ事も出来ないのだ。」


先ほどの、左衛門の一子、松若が出家して、名を唯円と改め、
親鸞に可愛がられている。
その唯円が、遊女かえでと恋仲となり、周囲が喧しくなる。
ここ、西の洞院御坊の先輩僧達が、唯円の動きに、
目くじらを立てている。


先輩僧は唯円に説教する。
曰く、「お寺の事、若い弟子達の事、法の事を考えて、
この不釣合いな、盲目の恋を何とか諦めなさい。」
僧達は、次に親鸞の処に行き、あのような唯円の態度が
改まらないのなら、私がこの寺から身を引かせて
もらいますと言う。


その時親鸞は、如何にして説教したか。
曰く、自分も唯円も悪い。
この世に悪くない人は居ないぐらいだ。
この寺は、そもそも悪人を赦し、人を裁かないのが
モットーではなかったかね。
南無阿弥陀仏と唱えて、総てを、み仏におすがり
する事ではなかったかね。


唯円が悪いからといって、追い出したりしたら、
ますます悪くなるんじゃないかな。
だいたい、善悪の裁きは、仏様にお任せする事だ。
人を呪う事は、自分自身の罪となるんだよ。


このように親鸞は実に明快に説教した。
この後、親鸞は唯円と話し合うのだが、どう言うふうに
筋道立てて話すか、読む前にご自分で考えて見て下さい。


私は、ほとんどわからなかった。
でも親鸞は流石でした。
「やめろ」とか「改めろ」などとは、いきなり言いませんでした。
二人の恋が、成就するかしないかは、
運命により決められているから、
君達だけで勝手に誓い合ってはいけないのだ。
運命は仏様がお決めになる事なんだから。


だから、一生懸命南無阿弥陀仏を唱えて、お願いする事だね。
自分たちの恋が、先ず、聖い恋である事が前提だね。
そして、一切のものに呪いを送らない事だ。
とかく、恋は盲目、恋人を思うが故に他人に
迷惑をかけてしまいがちだからね。


・・・かくて唯円とかえでの恋は、かえでが出家する事で、
無事成就を見たのでありました・・・目出度し目出度し。