立夫文庫のブログ

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☆ 漢字が羅列してるお経の本、それを噛み砕いて解説してくれる有難い本です。法然上人は最高の頭脳を持った偉大な宣教師です。どんな凡夫でも極楽浄土に導いてくれます。 

            題 名:法然の哀しみ 上下巻
             整理番号:A-10              
            ジャンル:仏教など
      読んだ時:平成31年 80才    
            著 者:梅原 猛
            出版社:小学館文庫


 内容・感想:
悪政により世が乱れ、人々の生活が極度に低下すると、


人は藁にも縋る思いで宗教に救いを求めます。



日本の過去のそのような時期、相次いで新興宗教が


必然的に興りました。


その時期は鎌倉時代の初期、十二世紀も終わらんとする頃です。



当時新興宗教として政府から弾圧を受けながらも、


大衆層にどんどん浸透したのが法然の浄土宗でした。



この本の著者、梅原猛氏は、今年(平成31年)の1月に


亡くなりました。


とても聡明な哲学者です。



法然上人は幼名を勢至丸と言い、とても賢い子でした。


父は押領使と云う、武力を持った豪族の一種でありました。


岡山県の美作にあり、当時台頭して来た武士として敵も多く、


遂には殺されてしまいます。



予め自らの死を察していた父は、勢至丸を寺に預けます。


父の死の時期については諸説ありますが、法然房源空が


比叡山の叡空のもとで勉学に励む時(久安3年=1147年)が


順当のようです。


その報を聞いて法然の哀しみはいかばかりか、想像に余りあります。



扨て、ここで私は大きな矛盾を感じる事があります。


法然の弟子親鸞から分派した一向宗と言うのがありますが、


この信者達は戦乱の中、戦って死んで行く事を少しも


怖れなかったといいます。


南無阿弥陀仏の称号を称えながら累々と屍の山を築いていったと


いいます。



その心は、南無阿弥陀仏の称号を称えながら死ぬ事により


極楽浄土につながる道が開ける事だったのです。


現代でも同じような事が行われています。


イスラムの信者がジハード(聖戦)と称して、戦いを起こし、


身体に爆弾を巻いて自爆する行為が頻繁に起こっています。



これらの事を見てあなたはどう思いますか?


常識的な行為だと思いますか?


私は間違っていると思います。


信仰はあくまで現世に生きる者の心の安らぎを


得るためのものであるべきだと思うからです。



法然の思想上の主要な師事者に善導という人がいます。


善導の思想は、著書「観経疏」(かんぎょうしょ)に因ると、


西方を向いて結跏趺坐し、瞑想の極地に至り得ると、


素晴らしいお浄土が見えて来ると言います。



式子内親王との恋(下巻61頁)


式子内親王は、当時の院政政治の最高権力者、後白河院の


娘です。


堅物で、スキャンダルの全く無い法然ですが、


実は心の中では、お互いに相通じるものがあったみたいです。


そんな法然ですが、仄々と人間味を感じます。



下巻には法然の優秀な弟子たちの一人ひとりの紹介など


書かれています。


平家の遺児である源智は、法然が自分の子のように愛した弟子です。


昭和54年に滋賀県の信楽の玉桂寺で発見された文書は


源智の書き残した物で、タイムカプセルとしても貴重なものです。


なんと、阿弥陀様の胎内から厖大な書き物が出てきたのです。



同じく、弟子の安楽と住蓮は浄土宗法難の際、京都六条河原で


極刑に処されています。


時の専制君主後鳥羽上皇の逆鱗に触れたのです。


この汚い世から阿弥陀様のご利益で解放されるならば、


死は何ともない・・・と言うような事を言い、大声で


称名を称えながら果てたそうです。



実は、我が高野五郎家(=我が父)は文京区は向丘の浄土宗の浄心寺に


入信し、菩提寺としております。


法然さんの弟子で弁長とか源智が受け継いだ、言わば主流派で、


芝の増上寺、京都の知恩院の系統です。



このリスペクト梅原先生の書は、感慨深く、まだまだ記述したい事多々有


ですが、この辺で一先ず筆を置きます。