立夫文庫のブログ

「立夫文庫」にようこそ! どうぞごゆっくりご覧下さい。
当ブログを、楽しく、為になる読書のナビゲーターとして、ご活用下さい。

☆ツイアビは誰よりも地球の美しい自然を願った。パパラギのやってる事は間違ってると・・・

「パパラギ」 
   整理番号:A-06
            ジャンル:仏教など         
            著者:ツイアビ 訳者:エーリッヒ・ショイルマン→岡崎照男
            出版社:立風書房
内容・感想:
「私有財産制度」は私が日本国に生まれた時から既にあった。
だから、そんなものは空気みたいなもので、あたりまえのことだと
思っていた。
しかし、ツイアビは「パパラギが神様を貧しくした」…の項で
淡々と言っている。

・・本当は、総ての人のために神が造って下さった
地球上の総ての物を、パパラギは俺の物とあいつの物に
所有を決めてしまった為に、神様の物はとても少なくなり、
貧しくなってしまった。
・・なんと言う独創的な考え方だろう。
(注=パパラギとはヨーロッパ人のこと)

そして、それは即ち、資本主義国家の私有財産制への
批判である。
僕たちはこの辺の事を、改めて考え直してみなければ
ならないと思う。
俺の物を如何に増やさんがために、他の人をいかに
踏みつけながら、えげつなく、しかし、表面はかっこ良く
取り繕ろいながら、エコノミック・アニマルしている。
おのれのこの実態を、鏡に写してみたら、その下心が
表情から読み取れて、とても見苦しく思うだろう。

でも、救われるのは、多くの人は、死期が近ずくと、
我欲がなくなり丸く穏やかな顔になることである。
いくら俺の物だと囲っていた物でも、何一つ、あの世へ
持って行けないことに気ずくからだろう。
全ての地上の物は、神様にお返ししてから、
彼岸へと旅だって行くのであるからして・・
自分の肉体すら持って行けないのだから・・。


世界地図を開いてみよう。
太平洋のまん中に、無数の島々がある。
これらは、ミクロネシア、ポリネシアと呼ばれている。
その中にツイアビの棲む、西サモアのウポル島がある。

今や文明に汚染されていない場所は、
地球広しと言えども、とても少ない。
この南海の楽園に一度訪れてみたいものである。
でも、ツイアビが生きていた二十世紀初頭のサモアとは、
だいぶ変わってしまっているだろう。
草場の陰で彼が嘆き悲しんでいなければいいが・・・。

ツイアビは言う。「文明」とは僕らに光を与えるのではなく、
逆に暗闇に引きずり込むものだ。
第一次産業革命に沸き立つ、得意絶頂のパパラギを
全然別の角度で捕らえ、痛烈に批判している。

曰く‥‥パパラギは自分の喜びのためには天も地も支配する。
彼はある時は、魚のように、巨大なカヌーに乗って、
海の上ばかりでなく海の中まで走る。   
そしてある時は、鳥のように、雲から雲へカヌーを走らせる。
足に鉄の車輪をつけ、大地に穴をあけ、
いかなる馬よりも速く、突き進む事も出来る。
大きな石(機械)は、美しく嫋やかな腰布を
一日に大きな丘ほども織り上げる。

パパラギは魔術師だ。
これらの物は、私たちにはとても作れない、
とても理解出来ない物ばかりだ。
だから私たちの中の心の弱い人びとは、この魔術にシビレて、
間違って屈服してしまうかもしれない。

しかし、よく考えてみると、何でいつもセカセカと速く走ったり、
カヌーに乗って向こう岸につく前に何分後に着くんだろう
などと色々考えたりするんだろう。
パパラギのやってることは、おもちゃ遊びみたいなもので、
神の造り給うた物の前では本当に微々たる物だ。

我々はこのツイアビの痛烈な批判を、只、カッカして
ばかりいないで、よく考えて見る必要があると思う。
我々が得意になってやってきた文明は、今や地球規模の
重症の環境汚染を引き起こしているではないか!
ロシア国家は経済危機に瀕して、原子力廃棄物を所構わず、
公海にバカバカ投棄しているではないか。
今やフィリピンの美しい島々を取り巻く海も、
無惨に産業廃棄物で汚染されてしまっているではないか。
アマゾンの熱帯雨林はパルプ製造のため、甚大な面積が
切り倒されてしまっているではないか。

まったく、冗談じゃないぜ。
これが、丸い金属と重たい紙(おかね)を
よだれを垂らして欲しがるパパラギが
得意になって造っている国家の現状なのだ。
だからして、ツイアビでなくたって、自分の国に
こんな疫病神が入国するのはまっぴら御免だと思いませんか。

それを20世紀の初頭に、鋭敏にも感じて、
文明上陸絶対反対を唱えたツイアビ酋長は
偉大な先見の明があったと言うべきであろう。
それにしても、僕たちの棲む地球はこれから先、
いったいどうなってしまうのだろうか。
とても、とても、心配である・・・・・・・・・・・。