立夫文庫のブログ

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☆荷風は下町浅草をこよなく愛しておりました。

   題 名:濹東綺譚 (ぼくとうきたん)       
           
            整理番号:B-26             
            ジャンル:日本文学
      読んだ時:平成14年 64才   
            著 者:永井荷風
            出版社:岩波文庫


 内容・感想:
荷風がこの世を去ったのは、昭和34年のことです。
明治12年生まれの、80歳でした。
僕が21歳のときで、新聞かテレビで訃報を聞いた
覚えがあります。


丁度その時期、友達の永井君が三井銀行に就職していて、
浅草支店勤務でした。
荷風のよく行く喫茶店の場所を教わったけど、
ついぞ行かず仕舞だったのを思い出します。
因みに、永井君と永井荷風との関係は、
親戚でもなんでもないです。


この小説は昭和11年脱稿ですから、荷風が57~8歳
の作品ですが、若い時分遊び歩いた思い出を、
彼はその年になって懐かしくオーバーラップさせる
出来事があったようです。


場所は隅田川の東側、寺島町の辺りでしょうか。
俗に、玉の井の私娼窟とか言われていた地区です。
その辺りを例によって彷徨していた折、
六月末の或る夕方、梅雨はまだ明けてはいないが、
朝から好く晴れていた日、俄かに疾風が吹き、
やがて稲妻が鋭く閃き、ゆるやかな
雷の響きにつれて夕立がやってきました。


彼は抜かりなく持っていた傘をさして歩きかけていますと、
いきなり後方から、「檀那、そこまで入れてってよ」
と云いざま、傘の下に真っ白な首を突っ込んだ女がありました。
それが出会いで、彼女の居る陋巷(ろうこう)に
足繁く通うようになるのです・・・・。


つい、こないだ読んだ幸田文(こうだあや)の
「ふるさと隅田川」によりますと、文さんは
寺島村に長い間住んでいたそうです。
雨が降ると、じきに地面がグショグショになるこの地を、
文さんはあまりお好きじゃなかったようですが、
荷風は、蚊がブンブン飛び回る溝際(どぶぎわ)の
この地を好きだったようです。


読んでると、あちこちに地名が出て来ます。
一体どの辺を彼は行動範囲にしていたのか、
それをチェックしてみたくて、図書館で詳細地図を
見てみましたが、さっぱり解かりませんでした。
昭和初期と今とだけでも、随分変わってるもんですね。
第一に道路が変わる、次に地名の呼び方が変わる。
民間の建物は、戦災で大きく変わったし、
神社仏閣ですら結構場所が変わったりしています。


そこで二ヶ所ほど抜粋してみます。
30頁・・吾妻橋をわたり、広い道を左に折れて
源森橋をわたり、真直ぐに秋葉神社の前を過ぎて、
また暫らく行くと車は線路の踏み切りでとまった。
踏み切りの両側には柵を前にして円タクや自転車が
幾輌となく、貨物列車のゆるゆる通り過ぎるのを
待っていたが、歩く人は案外少なく、
貧家の子供が幾組となく群れをなして遊んでいる。


降りて見ると、白髯橋から亀戸の方へ走る
広い道が十文字に交錯している。………
一町ほど歩いて狭い横道へ曲がってみた。
自転車も小脇に荷物をつけたものは、摺れちがう事が
出来ないくらいな狭い道で、五、六歩行くごとに
曲がっているが、両側とも割合に小奇麗な耳門のある借家が
並んでいて、勤め先からの帰りとも見える洋服の男や女が
一人二人ずつ前後して歩いていく。


遊んでいる犬をみても首輪に鑑札がつけてあって、
さほど汚らしくもない。
忽ちにして東武鉄道玉の井停車場の横手に出た。


159頁・・地下鉄道は既に京橋の北詰まで開鑿せられ、
銀座通りには昼夜の別なく地中に鉄棒を打ち込む機械の音が
ひびきわたり、土工は商店の軒下に処嫌わず昼寝をしていた。
…・・それはやはりこの昭和七年の冬であった。