立夫文庫のブログ

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☆ 延々と枝を張る大樹。事によるとこの樹は楠正成の生まれ変わりかもしれない・・・

題 名:大楠のある住まい・楠郷臺
整理番号:C-23     
ジャンル:歴 史
読んだ時:令和 5 年 85 才    
出版社:三菱地所株式会社(発行)


 内容・感想:
この本は文京区立本郷図書館蔵書K1365にあります。
平成10年(1998年)に三菱地所がこの地にパークハウス楠郷臺を建てるに当たって、
大楠のあるこの地の歴史を調べて編纂した本です。
但し、この本の著者、おそらく複数の人の名は秘されています。


何とこの大楠は、彼の楠木正成(くすのきまさしげ)とご縁があると言う事で
ビックリです。
正成は南朝の後醍醐天皇を奉じて戦いましたが足利軍に敗れ、兵庫の湊川で
一子正行(まさつら)を郷里に戻し、自らは討ち死にした歴史が残ってます。
従って血筋は脈々と続いており、その後徳川家康の覚え目出度く、江戸太平の
元禄(1691年)の頃、旗本甲斐庄正親の代に、ここ本郷大楠の下の地に
屋敷を与えられました。
但し、長い間楠木の姓は陽の目を見れない存在だった為、甲斐庄の名を冠して
おりました。


この大楠は現在樹齢600年と推定されています。
正成が一子正行と桜井の別れをしたのが1336年です。
正成が討ち死にした頃、丁度この大楠の木が芽を出した事になります。
何か、因縁を感じますねぇ・・・。


時代は下り、大正の初期になって楠木家の末裔楠正啓氏はこの地を去り、
その後家主は数度替って、昭和17年中山家が住むようになりました。
中山家は息子弘二氏の代になって、敷地370坪、建坪延べ180坪と言う
広大なお屋敷なので、固定資産税の支払いに窮してしまいます。
何せ、秋ともなると庭の落ち葉を掃き集めては風呂を沸かしてたというくらいの
広さで、まさに都会の中の田園生活だったようです。


いろいろ思案の挙句弘二氏はフランス料理店「楠亭」(くすのきてい)を
開業しました。
昭和55年の事でした。
それも、閑静な住宅地の中にポツンとです。
しかもどうせやるなら徹底的にと言う訳で、超豪華なお店を造りました。
何と、それが当たって有名人もぞくぞくご贔屓になったようなので
大したものです。
この辺りの様子は司馬遼太郎の本郷界隈を参照です。


最後に少々触れておきます。
この大樹のある場所は東京ドーム前の上り坂の途中、東洋学園キャンパス前を
左に入るとあります。
この坂の名は壱岐坂と言います。
由来は坂上に小笠原壱岐守のお屋敷があったからで、以前は壱岐殿坂と
言ったそうです。
小笠原家は備前唐津六万石の殿様です。