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☆昔時の事と化しつつある、かの大戦。先ずこれを読んでから全九巻に挑戦しては如何。

「太平洋戦争」  全九巻
   整理番号:C-03
            ジャンル:歴史         
            著者:山岡荘八
            出版社:講談社


内容・感想:
昭和16年12月8日、ついに日本は臥薪嘗胆に決別して、太平洋戦争に
突入しました。
ハワイのパールハーバーに先制パンチを加えるべく、
山本五十六連合艦隊指令長官率いるところの大船団が太平洋を
東へ東へと向かって行きました。
実に空母六隻を擁して総勢31隻に及ぶ大船団でありました。
゛ニイタカヤマノボレ゛の令により奇襲作戦の火蓋は切って
落とされます。


 そして ゛トラトラトラ ゛
それに続いて、山下中将 辻参謀長率いる第25軍はマレー半島を
一気に揉倫してシンガボールにまで達します。
更にジャワ方面では今村中将の第16軍は綿密なる作戦が功を奏して
見事占領に成功しています。
只、不運の男、本間中将のフィリピン攻略はだいぶ難航し、
戦後の軍事裁判で死刑を宣告される主因となった
「バターン半島死の行軍」をやらかしてしまいました。


しかしこれは、捕虜を人道に反して虐める様な意図があった訳では
ないようです。
戦意を無くした米兵や比兵が大量に投降したので、作戦行動中のため、
もてあましてしまったのが実際のようです。

バターンをなんとか進み、要塞の島コレヒドールにマッカーサーを
追いつめ、やっとのことで制覇しました。
卑怯にも敵の総指令官は陥落前、部下を置き去りにして
゛おぼえてろよ゛とかなんとか云っちゃって、オーストラリアへ
逃げ出してしまいます。


・・・と、まあこの辺までは破竹の勢いで、大本営も誇らしげに
報道していますが、昭和17年6月4日始まったミッドウェー海戦の
大敗北から、国民はつんぼ桟敷に置かれていきました。


話は少々横道に反れますが、私の親父の頃からお付き合いを
願っている日建総業社長の前田氏は、元海軍さんで、
ミッドウェーの生き残りです。
もちろん真珠湾攻撃にも武勇を馳せました。

前田氏は、ミッドウェーでは南雲中将率る第一空母部隊の
空母゛加賀゛で艦爆のパイロットとして乗り組んでいましたが、
飛び上っている間に母艦がやられ、燃料は尽きるし、
大腿部貫通銃創は負うわで、海上に不時着したところを
運よく駆逐艦に救助され、九死に一生を得たそうです。


話を本題に戻して、日本は、続くガダルカナルでは、
底無し沼のようなジャングルに次々兵員を送り込み、
2万の同胞を失っています。
同じ頃、ニューギニアでは南隣のオーストラリアに逃げていた
マッカーサーが、不死鳥のごとく南太平洋総指令官として
蘇ってきて、反撃して来ました。


そうこうするうち、昭和18年4月海軍指令長官山本五十六が
前線視察中、搭乗機を攻撃されブーゲンビル島のジャングルに
墜落戦死します。
一方、ビルマ(現、ミャンマー)からインドに戦線を
展開していった、所謂インパール作戦は、大河と山岳地帯に
災いされ、挫折せざるを得ない情勢に追い込まれていきます。
もうこの時期になると、緒戦の頃なめてかかっていたような
アメリカ兵ではなくなっていました。


日本兵の性格を研究して、「迫兵戦では相手は命知らずだから、
かなわん」という訳で、先ず豊富な物量にものをいわせて、
爆弾を地形が変形するほどぶちこんでから、進軍してきました。
太平洋上の日本軍の砦を一枚ずつはがしながら・・・サイパン
・・・パラオ・・・硫黄島・・・日本兵は総て死んでいきました。


国民に内緒にしてきた負け戦も、この段階になると大本営も
カッコいいことばかり云っていられなくなって来ます。
昭和19年夏、捷号作戦なる、この一線より絶対敵に侵させない
防衛線を固めて参ります。

海ゆかば 水く屍 山ゆかば  草むす屍・・・   
しかしながら、戦線は屍の山を築きつつ後退のやむなきに至り、
防衛線はフィリピン・・・沖縄・・・と破られ、原爆二発でついに、
流石の強者も参ったと云いました。
時に昭和20年8月15日の事でありました。


これだけの大戦争であったのですから、戦後の事件も
いろいろとありました。
中でも満州における邦人の撤退は困難を極め、多くの、
それも情報が遅い民間人が、恨み骨髄のチャンコロやロスケに、
ここぞとばかり揉倫されます。
以上が太平洋戦争の概略です。


ここで僕は、思います。 
明治以来、富国強兵政策でシコシコと膨張させた軍隊も、
初めは先進国からの侵略防止の意図であったかも知れないけど、
すばらしい軍備を持つと一度実戦で使ってみたくなるものです。
だから、とんでもない戦争に踏み切った面が確かに
あると言えると思います。


しかし、それだけで戦争は始まったのでしょうか。
僕は、忠臣蔵の浅野内匠守が、吉良氏に執拗にいびられた状況に、
似た面があるんじゃないかと思います。
 ルーズベルト大統領は、かなりのワルだと思う。
日本外交が、未だ必死に戦争突入を回避すべく交渉を続行していた、
昭和16年の11月頃には既にルーズベルトは、短気な日本が
戦争をふっかけてくるのを、挑発するような節が感じられます。


植民地満州を解放せよ、日独伊三国同盟を破棄せよなどと迫り、
そして、云うことを聞かない、急速なる発展途上國日本に、
懲らしめのための石油供給停止を敢行するのです。
・・・なにやら現代のイラクのクエート侵略に対する、
アメリカの食料ストップに似ている気がします。
違うのはイラクのフセイン大統領は、ズゥーッと優柔不断で、
ズル賢いことなだけです。
喧嘩両成敗なんて云いますが、戦争に関しては負けた方が一方的に
悪いことになるようです。