立夫文庫のブログ

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☆司馬遼の本を読んで、歴史散歩をするのも一興ですヨ。

     題 名:本郷界隈 街道を行くシリーズ 
            整理番号:C-10                   
            ジャンル:歴 史
       読んだ時:平成11年 61才  
            著 者:司馬遼太郎
            出版社:朝日文芸文庫


 内容・感想:   
P.52~ 本郷一丁目の大楠の話
樹齢600年を越す大楠があると言うので、
早速見に行って来ました。   
春日の交差点を西に上がって行き、
上がり切る手前を右に入ると、やがて右手に
巨大な大楠の木が見えてきました。


夜だったので見上げるとうっそうとして、
神秘性がいっそう増して見えました。
司馬遼が行った時は楠木邸の門前の木として
書かれておりますが、現在はその時のフランス料理屋は
なくなっており、近代的なマンションが
ほぼ完成間近でありました。


P.117~ 湯島四丁目の旧岩崎邸界隈
どうも現在は表通りに面する所は、ごちゃごちゃと
商店が並んでしまい、それがカムフラージュになって
奥にある史跡が忘れられがちです。


湯島文化センターの裏手が旧岩崎邸(=現最高裁司法研修所)
だったとは、僕もちっとも知りませんでした。
幕末までは、家康の四天王の一人としてその名を馳せた
榊原康政の子孫代々のお屋敷だったとは、
尚更知りませんでした。
当時の敷地はおそらく東側の不忍池まで
及んでいたことと思われます。


P.126~ 春日の局と高野家のルーツ
徳川三代将軍家光の乳母として有名な春日の局、
その菩提寺が湯島四丁目にある麟祥院であることは
NHKの大河ドラマで取り上げられて以来、
つとに衆知のこととなったようです。


この春日の局が昔、我が高野家と関係があったのです。
・・・といっても血縁ではありません。
春日の局という人は名を福と云いました。
美濃の豪族稲葉正成に嫁し三人の男子を産んだのち
正成と離婚し、徳川の大奥に入り
竹千代の乳母となりました。


やがて成長して家光が三代将軍になりますと、
福にもいろいろと報われることが多くなりました。
別れた元の夫の正成も山城淀十万石の大名に
取り立てられました。
夫正成の本家の稲葉家も、のち豊後臼杵五万石の
大名となりました。


さてそこで、高野家との関係ですが、
岐阜の山奥に、今は町になりましたが
高野村というのがありました。
我が祖先はそこで普段は畑を耕しながら
主君稲葉の本家に仕えておりました。
主君が前述の豊後臼杵へ栄転しますと、
一緒に付いて行ったと云うわけであります。