☆人生は、人の数だけいろいろある。必死に生きても、のんびり生きても一生である
題 名:木曜島の夜会
整理番号:C-11
ジャンル:歴 史
読んだ時:平成12年62才
著 者:司馬遼太郎
出版社:文春文庫
内容・感想:
短編四部のオムニバス形式からなってます。
いずれも司馬遼独特のドキュメントタッチで、内容そのものは、
つまらない出来事であっても、過去にこんなこともあったのかと思うと、
ついつい引き付けられます。
始めの「木曜島の夜会」にしても、オーストラリア北東部の
そんな外れに、豪州人でも知らない人が多いような島で、
明治のころから日本人がダイバーとして、海に潜って白蝶貝など、
欧州で貴重な需要があった貝殻の採取を、やっていたと云う事実など、
非常に興味深い話です。
潜水病と闘いながらも実績を上げれば、日本に“成金”で凱旋した人も
居たようです。
次の「有隣は悪形にて」も、また面白い。
幕末に、富永有隣なる者が中国地方の萩に居て、
これがまたすごい悪形で、顔だけじゃなくて、心もひねくれていて、
学問はそこそこ良いものを持ってはいるので、けっして馬鹿ではないが、
なにせ自尊心が高く、人のことを思いやること全くなし、
という輩でありました。
当時、このような社会の厄介者は、終身繋がれる牢屋がありました。
萩藩にも野山獄と云うのがあり、彼はそこに入れられていました。
そこに安政の大獄で有名な、松下村塾の開祖、吉田松陰こと
寅次郎が入獄して来ました。
牢の中で、根赤の寅次郎はみんなに呼びかけて、
お互いの得意とするものを出しあって、教え合おうと
云うことになり、いろいろな事を交歓するうち、
ひねくれ者の有隣もダンダンと打ち解けてきます。
やがて牢から自宅禁錮になった寅次郎は、野山獄の連中の釈放を、
お上に熱心に説き、そのほとんどの者が娑婆に出ることが出来ました。
引取り手のない有隣を、寅次郎は松下村塾の先生として迎え入れますが、
どうもこの先生、人の好意が解んないばかりか、
悪いほうに解釈しては、周囲に触れ歩いていたようです。
やがて寅次郎は再び捕らわれの身となり、ついに江戸で打ち首と
なったわけですが、庇護者の無くなった有隣は、
それこそ糸の切れた奴凧の如く、渡世を送るのでありました。
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