立夫文庫のブログ

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☆今、注目の日本史・・中でもこの応仁の乱はするめを噛むが如く味があるよ。

     題 名:応仁の乱       
            整理番号:C-20            
            ジャンル:歴史
       読んだ時:平成29年 79才  
            著 者:呉座勇一
            出版社:中公新書


 内容・感想:
NHKの大河ドラマは1チャンで毎週日曜夜8時から、
・・・僕もよく見てますが、
過って、「花の乱」=応仁の乱を流したときは、
視聴率ワースト記録を更新したそうです。
何故でしょうか?
日本の歴史において大戦は何度かあったけど、
この応仁の乱は内容的に曖昧模糊としていて、
掴みどころがなく、且つ、これといったヒーローが
いないので、面白くなかったのではないでしょうか。


時代は15世紀半ばの応仁元年(西暦1467年)、
雅やかな京都を舞台に戦いは始まりました。
時の足利幕府の将軍、義政には正室の富子との間に子供がなく、
次期将軍に弟の義視(よしみ)を任じましたが、
世の中うまく行かないもんで、何とその直後に富子か゛
男子を出生してしまいました。
当然富子は自分のおなかを痛めた子、義尚(よしひさ)を
何とか将軍にさせたいと、いろいろ画策します。
・ ・・と、そこにいろいろなトラブルが生じるのは当然です。


一方、畠山家の家督相続争いと言うのがありまして、
従兄弟同士の畠山政長と畠山義就が争っていました。
そしてその、後ろ盾に政長には山名宗全、
義就には細川勝元が付きました。
宗全も勝元も、多くの領地を持つ大守護大名です。
勝元は代々管領(かんれい)も務める名門です。


これが軸となって各国の大名が、何れかに加担して、
京を舞台に西軍と東軍に分かれて、物欲と面子を掛けて、
十年の長きに亘って争ったのです。
その結果、京の美しい町並みは、その殆んどが塵芥と化し、
疫病は蔓延し、市民、百姓は疲弊したのです。


この時期足利幕府は権力を失い、中央から
各地の荘園の守護のために派遣された、国司、守護大名達は
スッカリその地を自分の物にしてしまいました。
応仁の乱は、世の中の仕組みを根底から変えてしまった
という点で、革命的要素があった訳です。
そして各地の守護大名は実力を養い、織田信長などの
覇権争いの戦国時代へと繫がって行くのです。


この本は、応仁の乱を、興福寺別当の経覚と尋尊の
手記を基に展開しております。
当時の興福寺は各地に荘園を所有し、
寺も僧兵で武装していました。
僧兵の事を当時は大衆(だいしゅ)と云い、
中でも官符衆徒(かんぷのしゅと)と云う武装集団は
本格的な武士集団でありました。
武士と違う点は、頭を丸めているか、いないかの違いでした。


今でこそ興福寺は修学旅行で行っても、
「あ~国宝の阿修羅像は何て素敵なお顔なんでしょう」
・・・ぐらいの印象でしょうが、昔は大変な権力のお寺だったのです。


C-21のマンガ「応仁の乱」とチャンポンに読むと
理解し易い面もあるかと思います。