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☆太閤秀吉のお小姓だった、清正VS行長のお話

             題名:  宿      敵 上下巻
            整理番号:C-04
            ジャンル:歴史        
            著者:遠藤周作
            出版社:角川文庫


内容・感想: 
太閤秀吉のお小姓仲間に、加藤虎之助(後の清正)と、
小西彌九郎(後の行長)と云うのがおりました。
この両者は同じ釜の飯を喰ってたにも拘らず、
仲が良くありませんでした。
つまり宿敵=ライバル同士でした。


秀吉としても将来立派な武将として成長してもらいたいので、
いい意味でお小姓達を互いに競わせていました。
堺の政商、小西隆佐の子の彌九郎はキリシタンでした。
第一線で刀槍を振り回して武功をたてるには、
石田佐助(後の三成)同様ちょっと身体に抵抗がありました。
VS虎之助は秀吉の故郷中村の百姓の子で、勇猛果敢、
日連宗の熱心な信者、賢母の感化を強く受けており、
正に武将らしい風貌を備えておりました。


秀吉は九州征圧の折、肥後の国(現在の熊本県)を二分して、
宇土を彌九郎に、隈本を虎之助に与え、統治能力を競わせてました。
しかしながら、秀吉はどうも行長と云う男の性格が好きになれません。
‘ 面従腹背 ’・・・もっとも、絶対君主に抵抗するにはこういう陰険な手段
しかないんでしょうが、行長は清正と共に朝鮮征伐に遠征させられた時、
内地にいる三成と組んで大芝居をやらかしました。


ご存知のように朝鮮だけなら楽勝なんですが、
バックには明国という秀吉の想像を絶する大国がついているわけで、
敵うわけがありません。
行長は現地の人間を降伏大使に仕立て上げて、秀吉の前に虚偽の降伏文を
読ましめるのです。
芝居をやるほうもやるほうですが、ガックリ老化が進んだ秀吉には
往年のキレがなく、みんな手を灼いていた折なので、
この件に関しては世の瀕粛は買わずに済んだようです。


この面従腹背人間の末路は哀れなものでした。
行長は、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、西軍について敗走し、
捕らえられてしまいますが、キリシタンなので自害ができず、
京都四条河原で首を落とされ、屈辱の最後を遂げております。
一方、清正は東軍について勝利をおさめ、外様大名ながら
後々まで熊本城で安泰でありました。
尚、小西行長に関しては孤狸庵先生もよく研究されてるので、
もし興味ある方は続作の『鉄の首枷』を読むことをお奨めします。