立夫文庫のブログ

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☆令和記念新紙幣に登場予定の渋沢栄一翁。渋沢無くして日本の今日の経済界の発展は無かったのです。

           題 名:雨 夜 譚(あまよがたり)渋沢栄一自伝
            整理番号:E-22       
            ジャンル:人  伝
      読んだ時:令和元年 81才   
            著 者:長 幸男校注
            出版社:新潮文庫
          


 内容・感想:
渋沢栄一が晩年業績を講演した際、弟子たちが書きとめていたものを
長氏が集大成した物がこの書です。


今年の五月から元号が変わり、令和になりました。
それを記念して紙幣のデザインも一新される事になりました。
最高額紙幣、おそらく十万円札の肖像には、この渋沢翁が
描かれる予定です。


渋沢栄一は天保11年(1840年)に埼玉県深谷の農家に生れました。
時は幕末であり、彼もあちこちから入るニュースに鈍感では
ありませんでした。
米国のペリーが開港を迫る中、幕府はなかなか英断を下せず、
その衰退ぶりに危うさを感じて、仲間と共に江戸に行き、密かに
攘夷の企てをします。


しかしその無謀さに気付いて計画を中止し、従兄弟の喜作と共に
一ツ橋家(慶喜)のお召抱えとなります。
攘夷倒幕思想が一転したのは、一つには持ち金が底を付いた事も
あったようです。


1867年のパリ万博へ渡航した若き民部公子は水戸徳川斉昭の18男。
15代将軍慶喜の弟。
当時渋沢篤太夫と称していた栄一は、民部公子に随行して
フランスに渡り、彼の地で明治維新への政変を知りました。


帰国後慶喜の隠棲する静岡藩の業務で頭角を発揮しつつありましたが
栄一の実力を認める複数の人の推薦で、政府の中枢機関に
抜擢されます。


しかし所詮はエリート官僚の位です。
そして結局は大久保利通等と意見衝突して辞し、民間人として
その辣腕を奮って行きます。


かの英雄、坂本竜馬より四歳年下の栄一ですが、この二者の
大きく違う所は、政治的に動くか技術的に動くかの差が
あると思います。
何れも日本国の良くあらん事を思い、一所懸命動いていた
事には違いないのですが・・・。


この栄一の自回書を読むうち、ひしひしと感じるのは、
新生明治政府の中において、大隈重信が言ってるように
「誰も何をどうしたら最良なのか分からないが、兎に角
総ての事を創って行かねばならないのだ」と言う中で、
栄一は技術屋として、才能を発揮しました。


国立銀行を各地に造ったのも彼ですし、それらを統率する
日本銀行を造ったのも栄一です。
その後大蔵省を辞し、第一銀行の基礎を造りつつ、
東京の飛鳥山の彼の居所近くに王子製紙を造ったのを始めとして、
日本経済界の主要な基礎を次々と築いていきます。


その素晴らしさにはリスペクトですが、俗人と違って
私が一番偉いと思うのは、自らの金欲、権欲に少しも
走らなかった事です。
しかも更に偉いと思うのは、温厚な性格です。
大蔵省時代、薩摩藩出身の某氏と意見対立しても、
自分から折れて決して我を張らなかった一件もありました。